2018年に、最高630万の借金を抱えていた私。
債務整理はせずに、自力で返済すると決意し、現在に至ります。
冬本番ですね。毎日のように言ってますが、どういうわけか、本当にこの冬は自宅でエアコンを一度も使用していません。エアコンどころか、電気毛布や電気ひざ掛けなども、使わずに過ごせています。自宅でパソコンを使うと、右手が悴むのですが、
使い捨てカイロを時折握りしめることで、全然凌げています。
さて。早いものでこのブログを開設してから6年目(うち2年間の空白期間あり)となります。借金返済をメインで書かせていただいていますが、よくよく考えてみると、
私がなぜ、最高630万もの借金を抱えてしまったのか、
その原因と経緯をほぼまったく書いていませんでした。
過去にほんのチョロッと触れている記事がありましたが、 ↓
それ以外で、そもそもの借金を重ねた原因については何も書いていなかったことに、
今頃気が付くという・・・。
今回は、630万まで膨らんだ原因ではありませんが、私の人生初の、借金のお話です。
私の人生初借金は、25歳のとき。今から20数年前のことです。
理由は、毒母に背負わされた自動車ローンです。
思い返せば、彼女はいつも、私のメンタルが弱っているときにつけ入るように自分の思うようにコントロールしようとしてきました。このときも、そうでした。
当時、結婚の約束をしていた彼と、毒母によって半ば無理やり別れさせられて、地元に帰る(帰らされる)ことになったときのことです。
彼女は勝手に私には到底分不相応な高級賃貸マンションの物件(2LDK。家賃8万円)を見つけてきては、”自分が保証人になるから”と、強引に私に契約をさせて、私を一人で住まわせたのです。毒母がその時住んでいたマンションと同じオーナーだったようで、
「オーナーにいい顔をしたい」という自分の見栄のために、私を利用したのでした。
(当然家賃も敷金礼金も私の負担です。入居にかかる初期費用は60万円くらいでした)
それだけでなく、自動車免許を取得する費用(自動車学校:26万円)を支払い、さらには、免許取得後に必要な自動車を、毒母が懇意にしている(?というか、いいようにその男におだてられて調子に乗って浮かれていただけ)の「自動車メーカーの販売店営業所長」から、ローンの手続きをするように、と言われてこれまた強引にあれよあれよと契約させられたのでした。全額ローンで、総額は180万円(高すぎる…)。
当時の私は、車には興味も知識もなく、初心者であれば新車ではなくて、中古で動きさえすれば十分だ、という考えでしたし、購入すること自体も、免許取得後すぐ、ではなく、生活地盤が整ってから、とのつもりでしたが、車種も、段取りも、全て毒母が独断で決めてしまい、結婚がご破算になり、体調を崩して仕事もやめて地元に帰るしかなく精神的にかなり弱っていた私は、ただ従うことしかできませんでした。
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思い返せば今でも煮えくり返るほど腹立たしいのですが、その販売営業所長が所属するメーカー(その男はト〇タ販売の営業所長)ではない軽自動車(”ス〇キワゴンR”でした)を、マイカーローンにしてはべらぼうに高い金利(4.6%!)で買わされてしまいました。支払額は毎月3万円。当時の私。本当に無知で世間知らずだったと思います。
営業所長という男を毒母が連れてきたときも、如何わしさと厭らしさしか感じなかったのですが、毒母自身はやたらと「所長!所長!」と役職で連呼して、しきりに騒ぎ、はしゃいでました。(呆)
これも、「仲が良い(と、自分で勝手に思い込んでいるだけ)所長にいい顔がしたい」
という自分の見栄のために、私を利用していたのです。
しかも!ですよ。毒母はその際に、私を連れて自分の別れた元旦那(私の実父)の自宅まで訪ね(半ば強引に押しかけ)て行き、
「この子(luia)に車のひとつも買ってやってほしい。あなたが加入している養老保険を解約して、その資金に充てさせてほしい」
などと言って、父の保険証と印鑑を借りて持ち出し、解約返戻金(金額不明)を自分の手元に入れる手続きをしてしまったのです。
毒母は生命保険の外交員をしており、自社の保険の手続きであれば、何とでも操作できてしまう立場にありました。(できたとしても絶対やってはダメです)
その当時、既に離婚して8年~9年経ち、父親はとうに別の女性と新しい家庭を持っており、完全に赤の他人となっているにもかかわらず、毒母は、こんな犯罪めいたことを平然とやってのけるような人間でした。
もちろん、その解約返戻金は、私には1円も回ってきませんでした・・・。
自動車ローンは全て、自分で返済していかなければなりませんでした。
実の子をダシにして、お金をせしめて。しかもそれを目の前で聞いていた実の子に対しても、平気で噓をついて裏切る。こんな卑怯な人間から産まれてきた自分が、本当にイヤでした。逃げたしたくて、生きる希望が見いだせず、辛い日々でした。
このことから5年くらい後に、実父に再会したときにも、この件(勝手に保険解約&返戻金強奪事件)について、家族にさんざん文句を言われたらしく(嫁からしたら当然。ほぼ窃盗罪だもの)父としては相当に根にもっていました。それでも、実の子に対して
何も親らしいことができなかった後悔から、せめて車を買ってやれたことは誇りたいと思っていたのか、その話を持ち出されたときに、私も未熟だったので、
「あの時のお金、私は1円ももらっていません。必死で働いて全額ローンを自分で返済してます」と言ってしまったのです。
思いもしない事実を聞いた父は、あまりのショックからか、私に向かって、
「どうしてあんな女と一緒になってしまったのか、後悔しかない」と言ったのです。
それを聞いて、私もショックを受けてしまい
(こっちはお前の過ちと後悔の結果でできてるんだよ)と言ってやりたかったのですが
実の娘を前にしてでも、あの毒母については、そんなことを言ってしまう気持ちが、
本当にわかりすぎるので、口に出しては言えませんでした。
まぁ、いずれしても、私からすれば、そんな無神経な父も、母もどっちもどっち。
結局は”程度が知れる人間”だったということなのでしょう。
そんな二人の子である、私自身も。
***
脱線したので話を戻します。
家賃8万円と自動車ローンが3万円。それだけで毎月11万の出費です。それなのに、毒母は、仕事を辞めて地元に戻ってきた私に、自分のしている仕事(樹脂加工の工場?)の作業を手伝わせ、早朝から深夜まで1日中拘束しておきながら、
月に10万円しか渡してくれませんでした。
免許取得の期間からわずか1か月で、これでは生活できないと、毒母と大喧嘩。
その足で隣の県の大手派遣会社に派遣登録をして、翌日から働き始めました。
時給は当時破格の1,800円。社保加入も義務化ではありませんでしたし、所得税も今ほど高くありませんでしたので、ほぼ丸々お給料としてもらえていました。最初の1か月は試用期間ということで6時間勤務でしたが、翌月から正式採用でフルタイム+残業代もついたので、月収手取り27万~30万くらいはもらえていました。
車のローンの件も、派遣先で知り合った方に相談したら
「総額も、金利も高すぎる・・・。馬鹿じゃないの!騙されてるんじゃない?」
などと言われましたが、毒母経由で契約をしているため、中途での借り換えの手続きができず…。
できるだけ早く一括返済しようと、夜のバイトをしたりして必死でお金を貯めました。それでも残高37万くらいになるまでは、繰上返済することができませんでした・・・。巻き込み事故にあって修理代が発生したり、車検や毎年の自動車税の徴収や、ガソリン代といったランニングコストが、地味に生活を圧迫していました。
人生初ローンの契約先は、「オリエントファイナンス」今の「オリコ」でした。
電話して一括返済の手続きをしたときは、本当にせいせいする思いでした・・・。
そんな思いをしながらも、この当時の私は、
「お金が足りなければ、その分たくさん稼げばいいや」
という考え方で、緩く生きてきてしまっていました。
一括返済をした経験から、借金の重みや恐ろしさを感じることができていなかったのかもしれません。
そうした下地があったことで、借金をすることへの抵抗が薄れていた、とも言えます。