昨日はまたまた映画鑑賞してまいりました。(例によってポイント還元で♪)
客席の間隔をなくし、全席解放となった劇場では、ドリンクのみの販売。
例によってハイボールを購入して、勝手に私の指定席のつもりでいる、
いつもの最後列のど真ん中へ。
観た作品は「罪の声」。ずっと楽しみにしていた作品でした。
グリコ森永事件をモチーフにした社会派ミステリー?(なのかな)
ネタバレしない程度に、思ったことを書こうと思う。
自分の意思ではない、親の勝手な思想によって「罪」を背負わされてしまった子たちの
それぞれの人生…。
未来に強い希望、夢をもっていたのに、強引に奪われてしまった子。
徹底的に底辺の人生を歩みつづけてきた子。
当たり前の幸せを得て、何も知らずに生きてきて、ある日突然、事実を知る子。
親の都合、勝手で、子どもに罪を追わせて、人生を狂わせる。
いったいどういう神経、思考回路なんだろうか。
「自分のなかの正義」に振り回された者が、どれほど傷つくのか、その傷は未来永劫ついて回るのに。どうしてそこに頭が回らないのか。どうしようもないエゴイストだな。
なんていうか、作品を観ながら、自分の両親のことを思い出してしまい、また更に憎しみの感情が蘇ってしまった。
「子どもは自分の所有物じゃない」ってことを理解できずに親になる人、って一定数いるんだよな。いいように利用して、ろくに愛情を注ぐこともできずに、自分自身の不幸を呪うことで折り合い付けているような人間。
そんな人にだけはなりたくなくて、でも親になる勇気はなくて。
ちゃんとたっぷりの愛情を注げるのか。自分の身に変えても、守ることができるのか。
ひとりの人間として、向き合うことができるのか。
自分が知らない、もらったことがないものを、どうやって与えることができるのか。
だから私は生涯、ひとりで生きていくしかないと決めた。
誰かとともに生きることを放棄することは、それはまた、人として欠けているものがあるのだろうけれど、誰だって完璧にはなれないんだし。
赤の他人と暮らして傷つき傷つけあうことに、もうこれ以上自分自身を消耗したくない、と思ってしまう。そういう意味では私も相当のエゴイストなのかもしれない。
・・・脱線した。映画の話に戻すと、
制作スタッフと役者さんの力で、2時間半近い作品も長さを感じさせませんでした。
劇場で鑑賞するのは、やっぱり楽しい♪ 次に観る予定の作品も決まりました!
さて。今日頑張れば明日もお休み☆仕事終わりに整体の予約も入れたし^^
午後も頑張ろう~☆