2018年に、最高630万の借金を抱えていた私。 債務整理はせずに、自力で返済すると決意し、現在に至ります。
本日は、とても爽やかで穏やかな天候の午後なのですが。
私の心は、どういうわけか少し落ち込んでいます。
気分転換が必要なのかもしれません。 今日は早く仕事終わりにしてしまおう。
さて。表題の件。2年間ブログを更新していなかった間に起きたこと。
お仕事をお休みしていたことは少し前に書きました。↓
ちょうど病と闘っている最中、母親の内縁の夫(S氏)からLINEで「母、危篤」の知らせがきました。
(このS氏という男性についても、色々経緯があるので、追って書ける時が来たら書こうと思いますが・・・。)
母はこの数年前(2018年頃)から、大腸がんを患っておりました。
病院に駆け込んだころには肺にも転移が進んでおり、”もって後数年”、との宣告がされているような状態だったとかで。
それを機にS氏から度々連絡が来るようになり、2018年~2019年頃には数回ほどS氏に呼び出され、地元へ帰省して相談に乗っていました。
(・・・が、帰省とはいっても、母と対面することは一切なく、地元の最寄の駅そばの喫茶店でS氏の話を聞かされてとんぼ帰りするだけ・・・でした。
まぁ。考えてみればそれもおかしな話で。
相談があるならそっちから出向いてくればいいものを、わざわざ電車で往復3時間半もかかる距離を呼びつけるような人なので。やはり、類は友を呼ぶ、というか。
あの毒母と約20年も一緒に暮らせるような人だけのことはあり、S氏という男性も私とは異なる常識をお持ちの方でした。
S氏の相談内容も、自己中心的な話でしたが・・・それも書き出すと長くなるので、また別の機会があれば)
本筋にもどります。その帰省の際に、私からS氏には事前に伝えていました。
「申し訳ないけれど、あの人(母)がいよいよ、となった時、またその後にも。
私は一切関わるつもりはありませんので、その時が来たらご迷惑をおかけしますが、
諸々お手続きをお願いいたします」
私がこう言うと、
S氏は「でも・・・親子なんだから」
などと神経を逆なですることを口にしたので、
私は思わず、
「私とあの人の間で”親子”の関係が成立している、いた、と本気で思ってます?」
と聞いてしまいました。
20年あの人と一緒にいて、あの人を母親だと思ったことがあるのか、と。
するとS氏は、
「・・・”自分が親から愛されなかったら、私もどうしても愛せないんだ”って泣いてたことがあったよ」と。
それを受けて、私はもう一度繰り返しました。
「・・・まぁ、そういことなので。どこまでご理解いただけるかはわかりませんし、理解していただこうとも思っていませんが、葬式はもちろん、その後の一切も関わりませんので今のうちにお伝えしておきます。母の最後のお世話と諸々のお手配、よろしくお願いいたします。」
その当時のS氏は納得したのかしていないのか。は、わかりません。
とにかく私は自分の覚悟は伝えましたし、気持ちが変わることはないと。
・・・それにしても。全く。愛せないなら好き勝手に産むんじゃないよ。
”どうしても子どもが欲しくて産んだ”とか周りの人には触れ回っていたくせに。
いざ産まれてみたら、「自分の娘は愛せない」って。アホなのか。無責任すぎる。
この時も呆れの感情しか湧かなかった。いや。どちらかというと、
<毒母がどんなシチュエーションでS氏にその話(愛せない)をしたのか>
⇒「”可哀想な私をもっとかまって”アピールのため」が透けて見えてしまって、寧ろ吐き気がしたというのが近い感情でした。
かくして。2021年の7月に、さんざん私を苦しめてきたその人はこの世を去りました。
病の最中で、起き上がることもできない状況の中でS氏からLINEの通知と、母方の従兄からのSMSで葬儀の日程などが送られてきましたが、全て無視、返信もしませんでした。S氏のLINEはブロックしました。
不思議なことに、涙が出るどころか。まっっったく、1ミリも感情が動くことがありませんでした。今も、同じです。悲しいも、嬉しいも、せいせいした、も、何もありません。
ただ。今でも時々起こることとしては。日常の些細な出来事やニュースなどに触れて
過去の私が母にされた仕打ちや、かけられた言葉などの記憶が呼び起こされるときは
いつも「ああ。やっぱりあの人、本当に【残念な人】だったんだなぁ」と、思います。
どういうつもりで発言したり、行動したりしたのか。それによって相手がどんな感情をいただいたり、どんな被害を被るのか、ということが「想像できない人」だったのかなと思います。もしも想像できていて敢えてやっていたのだとしたら、本当にサイコパスだと思います。
それでも。私がこのような借金人生を味わうことになった最初のきっかけ☆を作った張本人がこの世から消え去ってくれたことで、「解放された」と感じたことは確かでした。
☆のお話も、後日機会を作って書いていきたいと思います。