こんにちは、るいあです。
このブログで書いていきたいテーマは3つあります。
ひとつめ。
私は一人っ子なのですが、残念ながら家族の縁に恵まれずに育ちました。
私が幼稚園に入る前から両親は仲が悪く、夜になると酔った父親を殴る蹴るして罵倒する母親に、私はいつも、とても恐怖を感じていました。
昼間の母は小さな私に対しても、ふとしたきっかけで火が付いたように怒りだし、殴る蹴るの暴力や、家の外の物置に閉じ込めるなどはしょっちゅうありました。また、とてもいやだったのが、昼でも夜でもおかまいなしに服を全て脱がされて、外に放り出されることでした。
ここまで書いてみて、つくづく思うことがあります。
”どうしてこんなにひどい目にあわなければいけなかったのか?”はとてもよく覚えているのに。
”「何が原因で」叱られたのか?” は、全く覚えていないということ。
この私自身の経験からも、<躾>と称して親が子どもにふるう暴力は、肉体的にも、心理的にも全く効果などなく、寧ろ悪影響しか及ぼさないものだと感じます。
自分の感情を子どもを利用して発散、紛らわせようとして、寧ろより増幅させるだけの、最も愚かな行動だといわせてください。こんなことをする人は、自分を「親」だと名乗ってはいけません。
話が少しそれました。母親の暴力の原因で、私がひとつだけはっきりと覚えていることがあります。
その日は、地元の花火大会がある日で。母親が昼の明るいうちから張り切って河川敷まで出かけるための料理やおやつを準備しているときでした。
母親が持っていくお菓子や料理の説明をしてくれたので、私は嬉しくなって
「そんなにすごいなら(夜まで待てない)今すぐ食べたくなっちゃう♪」と、はしゃいで言ったのですが、どうやら母親が私の言葉を聞き間違えたらしく。
その瞬間、テーブルの上にあった母親のがま口で思い切り顔を殴られました。私は、何が起きたのかすぐには理解できず、ただ右の耳の辺りが焼けるように熱く感じたため、「熱いっ!」と叫んだことを覚えています。
その声を聞いて母親はますます苛立ったのか、「だったらもう行かなくていいっ!お前なんか連れて行かない!!置いて行くから!」といって急に私の腕を強くひっぱり、そのまま窓から外に放りだしました。窓のすぐ下は、花壇になっていて、私はその花壇の中に落ちました。柔らかい土の中に足首まで埋まり、靴下の中にも湿った泥が入ってきて、気持ちが悪かったことを覚えています。そして、楽しい気持ちが一気に悲しい気持ちになり、どうしてこんなことになってしまったのか、全くわからないまま、込み上げる嗚咽をこらえることができず呼吸もままならないほどにしゃくり上げていました。
「こっちがこんなに色々準備しているのに!”行きたくなくなる”なんて言われたらどんな気分がすると思う!!」部屋の中から母親の怒鳴り声が聞こえました。・・・そんなこと、言ってないよ・・・言うわけないのに・・・。
”どうしてこんなことになってしまったのか”悲しくて、悔しくて。
「今すぐ食べたくなっちゃう、って言ったんだよ・・・」がま口の金具で殴られた痛みと熱。悔しくて悲しくてずきずきと痛む頭。
花壇の中に座り込んでいると、激しい雷雨がやってきて、全身がびしょ濡れになったころ、泥だらけの私を部屋に入れなければいけないことに、ますます怒りが収まらない母親。
この年以降、家族そろって花火大会に出かけることは、二度とありませんでした。
私の記憶の中に残る、人生最初の”理不尽”な出来事でした。